『高木薬師の記』には、寛弘5(1008)年、この地方に流行していた疫病を鎮めるため、
長州赤間関(現在の下関市)よりたまたま当地に来ていた永才という徳の高い僧にお願いして
薬師如来像を彫り、17日間をかけて祈願をしていただいたところ疫病はたちまちおさまった、と書かれています。
本像はクス材を使って彫られた一木造りで、高さ145cmの立像です。
顔は目を半分開き、やさしい表情をしています。
また像の背後には頭の部分だけを覆う、輪光背が置かれています。
製作年代は、平安時代後期と考えられています。