鞍手町新延の剣神社境内で発見された5世紀中ごろの豪族の墓です。
5つの古墳が確認されており、町内の古墳の移り変わりを観察できる古墳群といえます。
新延を支配した豪族の墓
この古墳群のことは、江戸時代に伊藤常足が書いた『太宰管内志』に
「此の地郡の内にして石棺をほり出せること是彼あり中山村祇園社又新延村剣神社の社地…」
と書かれています。
中山祇園社とは役場裏の圃守社にあった圃守古墳のことで、
新延村剣神社とはこの鎧塚古墳群のことです。
鎧塚古墳群の名前はヤマトタケルノミコトが熊襲征伐の帰りに
この地に鎧を収めたという言い伝えから付けられています。
5基の古墳
剣神社境内には5基の古墳があります。